松原用水は、豊川の牟呂松原頭首工を取水口として、豊川右岸の水田地帯を潤し、日本有数の一大農業地帯、東三河地域発展の一翼を担っているが、ここに至る道は「暴れ川」豊川との度重なる闘いがあった。
松原用水の起源は1567年(永禄10年)に遡る。確たる水源がなく、干害が頻発していた豊川右岸地域を拓くため、橋尾村(現豊川市橋尾町)に堰を造ったことが松原用水の発端である。その後、1691年(元禄4年)の大洪水で井堰が破壊されたため、位置を上流部の日下部村(現豊川市豊津町)に移し「日下部井堰」築かれた。この堰は、河道に対し直角に築く「一文字堰」であり、舟通しを兼ねた放流施設を設けることで洪水時の流失を防ぎ、併せて土砂堆積による機能低下を回避できた。長寿命化と利便性を兼ね備えた画期的な堰であり、その後およそ180年にわたり利用され続けた。